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【2025/07/28 13:38 】 |
芦の原にうわばみ
うわばみだったらいいなと思うそれだけ。
まぶしくて目が覚めた。
誰が電気を点けたのだろう、越智がトイレにでも行ったのか、人の睡眠を邪魔するなんてまったくけしからん、ひとこといってやらねば。
そんなふうに寝起きの頭にとめどもなく浮かんだアキラの悪態はしかし、電気を点けた真犯人の姿を捉えるなり一瞬で吹っ飛んだ。「……進藤?!」
「よう、塔矢。越智はもう寝てんのか」やや声を潜め、ヒカルは背負っていたリュックを降ろして畳の上に置く。「芦原さんと部屋交換したんだ。一晩よろしく」
「よろしくって、キミ」
「あーもー走ったからクッタクタ。よっこらせ……オレもさっさと寝よっと」
「待て進藤」


ヒカルがもぐりこんだ布団をめくり、問いただすアキラ。「勝手に部屋を取り換えるなんて、君と相部屋なのは確か……」
「んー? うん、そう、冴木さん。だって、あのふたりがすげえ飲んだくれてるとこに逢っちゃってさあ、冴木さんなんかでろでろになって寝ちゃってたんだぜ。ヤなんだよオレ、酔いどれとふたりきりなんて、寝ゲロ吐かれそうだし。で、芦原さんが『大人は大人同士』って言って、冴木さんの面倒みるからって替わってくれた」
「……」

欠伸混じりで説明するヒカルの悪びれない態度に、アキラは長々と溜め息をついた。
「なあもう寝ていい?」
「……ああ……」

再び電気を消してアキラも横になる。だが元々あまり夜中に目を覚まさない分、一度目覚めてしまうとなかなか寝付けない。
窓から差し込む月の光が思いのほか明るいのだ。
おまけに、

「なあなあ塔矢、」

寝ていいかと言ったヒカル本人がしきりに話しかけてくるのだ。眠いんじゃなかったのか。

「芦原さんってさ、冴木さんに負けたりとかしたら、やっぱ塔矢先生に怒られたりすんの?」「……?意味がよくわからないな。どうしてそこでお父さんが出てくるんだ」
「いや、森下師匠(せんせい)−−オレや冴木さんの師匠、がさ、なんかわかんねーけどやたらオマエら塔矢門下にライバル意識バリバリでさ、何かっていうと『塔矢アキラをなんとかせいっ!』だの、『冴木、芦原より先に五段になれっ!』だの、競わせたがんだよなー。オマエんとこはどうなんだろーってちょっと思って」
「……僕が知る限り、お父さんは特定の相手との勝敗について誰かを咎めるようなことはしないな。おそらく、森下九段はお父さんと同期だから、いろいろ思うところがあるんだろう」
「そっか。まあ、確かに塔矢先生はそういうタイプじゃないよな」

そこで一度会話が途切れた。しばらくの間を置いて、アキラは再び口を開いた。

「……冴木四段は」
「ん?」
「進藤、キミから見て、冴木四段は芦原さんを強く意識しているか?」
「んー? そりゃまあな。オレから見てもあのふたり、お似合いのライバルだと思うけどな? オレとオマエみたいにさ」
「キミとボクみたい、か……そうあってくれれば、どんなにいいだろうな」
「なんだよ、その言い方。あ、まさかオマエ、冴木さんじゃ芦原さんにかなわない、なんて言うつもりか? 自分の兄弟子贔屓しすぎ!」
「誰もそこまで言ってない!」
「そこまでってことは、ちょっとは思ってるってことだな!」
「揚げ足を取るな!ボクが言いたいのは、」

徐々にヒートアップしつつある舌戦を、煩わしげな呻き声が遮る。眠っている越智が、布団にくるまったままで何事か寝言を呟いたのだ。
辛うじて我に返り、声を潜めるアキラ。

「……芦原さんは以前、自分が打っていて刺激になる同年代の相手はたくさんいる、と言っていた。その言葉を聴いたときは、単に喜ばしいことなんだと思ったけれど……裏を返せば、ひとり特別に意識する相手はいないということだ」


***


『つまんないんだろ』

今にして思えば、ああいうのを指して岡目八目と言うのだろう。
プロの世界へ飛び込むことへの躊躇の理由――ライバルたりうる者の不在の不安を、芦原はアキラ自身より的確に見抜いていた。
だけどそのことをアキラはずっと忘れていた。だってその少し後だったのだ、進藤ヒカルと出会ったのは。
あの一局以来、アキラの世界はすっかりその風景を変えてしまった。うねりになって襲い掛かる混乱、怒り、苛立ちと焦り、失望と奇妙な昂揚感。今まで抱いたことの無い数々の激情の前に、不在の不安なんてものはすっかり消し飛んでしまった。



「そう、キミに出逢う少し前だったんだ、芦原さんがそう言っていたのは……もしかしたら今もずっとそれは変わっていないのかもしれない……芦原さんも、つまらないと心のどこかで思っているのかも……」
「塔矢……」
「進藤。いろいろなことがあったけれども、今このとき、ボクはキミを確かに、得難く喪い難く思っている。
だから芦原さんにとっても冴木四段が、誰にも替わることのできない、唯一無二の存在になってくれればいいと、そう思ったんだ。それだけだ。ううん、彼らだけじゃない、願わくばすべての棋士に、ボクにとってのキミのような、生涯の好敵手があればと、そう思った。
……ただ、」
「ただ?」
「互いが互いをそうと思わない限り、ふたりはライバルたりえない。片方だけじゃだめなんだ。でも、芦原さんが彼をどう思うかは、芦原さんにしか決められない。だから……」

寝そべったまま頬杖突いて言い淀むアキラの横顔に、ヒカルの心臓がきりりと痛む。片方ばかり追いかけて、もう片方は素っ気ない、一方通行の想いの切なさを、ヒカルもアキラも知っている。
今こうして肩を並べるまで、傷だらけになりながら何度となく追って追われてきたのだ。初めのうちはアキラがヒカルを、ある時を境にしてヒカルがアキラを。
むろん、実力だけ見ればまだまだヒカルはアキラを追う側だが、少なくとも眼差しは互いを見据えている。背中だけを追っていたあの頃とは違う。
ヒカルは冴木のことを思い浮かべた。優しくて面倒見が良くて、和谷とヒカルが小競り合うのをいつも苦笑いでいさめてくれる兄弟子が、いつかの自分や塔矢のようなつらい思いを抱えて、誰にも打ち明けられずにひとり傷ついているのかと考えて、また心臓がきりきり音を立てた。



とその時、ねえ、と不満げな声が突然割って入る。「いつまでくっちゃべってるつもり? 今何時だと思ってる?」

「あ……越智、悪い、起こしちゃった?」
「隣であれだけごちゃごちゃ話し続けられたら、流石にね。……寝不足が祟って、明日の解説でトンチンカンやらかして、緒方先生にたっぷり怒られるのは勝手だけど、僕まで巻き込むのはやめてくれ。

なにが、得がたく喪いがたい、唯一無二の存在だよ、ばかばかしい。なら、これからずっと、君たちふたりだけ打ってればいいじゃないか。お互いさえいれば、他の奴らなんかいらないんだろ。昇段も、タイトルも、意味なんか、ないんだろ。
夜が明ける前に、ふたりで、どこへでもいっちまえよ」
「越智、お前」「うるさい!」反論しかけたヒカルを遮る越智の声がふるえを帯びる。「僕は寝ぼけてるんだ。寝言に返事なんか、する奴がばかなんだ。いいからもう……黙っててよ」

布団越しの越智の声はくぐもっていて、そのかすかなふるえが怒りによるものなのか泣き出しそうだからなのかわからなくて、ヒカルは言葉を失った。

「……すまなかった。もう寝よう、進藤」
「……ん」
「ふん……」

塔矢に促されてヒカルが布団をかぶり、それを合図にするかのように、耳が痛いくらいの静けさが再び部屋の中にひたひた満ちる。
アキラは小さく溜息をこぼした。
虫は鳴いてくれないのだろうか。風は強く吹いてくれないだろうか。木々を揺らして黒雲呼んで、雨を降らせてくれないだろうか。
布団越しの子供の嗚咽を、覆い隠してくれないだろうか。



それでも時間が経つとともに、眠りの波が押し寄せる。
まどろみの中で、アキラはふと思った。そしてそれを何とはなしに、秘密の呪文を唱えるように、小さな声でつぶやいた。

碁の神様が上手い具合に、すべての棋士に、ぴったりのライバルを引き合わせてくれないものだろうか?

誰に向けたものでもない独り言のはずだった。両隣で眠っている二人の耳には入っていないはずだった。


「かみさまなんていない」


はっきりヒカルはそう言った。



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【2013/06/26 14:07 】 | 短い話 | 有り難いご意見(0)
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