忍者ブログ
  • 2025.06«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • » 2025.08
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/07/30 15:11 】 |
その日が来るまで
ルートわけるほどかきすすめてねーだろう。
いつだか、どこだか、はっきりしたことは言えませんが、身分だとか階級だとかそういった概念が強く根差した世界、
もっと言えば、主人と使用人という関係が当たり前だった世界のお話です。

あるところに一人の青年がおりました。名前は三和タイシ。
癖のある金髪、わずかに灰色がかった青い瞳が印象的な甘いマスク、弁舌さわやかながらも軽薄なイメージはなく、年収もそこそこで家柄は申し分なしと、なかなかの優良物件青年紳士として評判でした。
そのまま何事もなければ、まあ近いうちにいい感じのご令嬢と結婚して家庭をもうけ、いい感じに口ひげと贅肉を蓄えながら、そこそこ浪費しつつも大いに羽目を外したりはしない、いい感じの中年紳士になれたことでしょう。


が、どっこい、人生万事順風満帆に見えた幸せな貴族のお坊ちゃん、ちょっとしたことがきっかけで社交界の大物を怒らせてしまいました。
騒ぎをいち早く聞きつけた父親が顔を真っ青にして示談に持ち込み、事態は一応収束します。しかししばらく表舞台――すなわち、晩餐会だとか演奏会だとか舞踏会だとか食事会だとか――には出られそうにありません。
収束したといっても、それは件の大物が「まあ、若者のいうことですから、私もとやかく腹を立てるのもみっともないことですよな、うわっはっは。しかし、お詫びの印としてそちらがどうしてもというのなら、この高価な品をありがたく頂戴いたしますよ、ぐわっはっは」と機嫌を直してくれた、つまりこれ以上事態が悪くなることはない、というだけのこと。
「三和家の長男タイシが某氏に失礼な口をきいて逆鱗に触れた」というスキャンダルは人から人へ、そしてその人に使える使用人からよその使用人へ、その使用人からまた主人へ、あっという間に広がっていってしまったのです。

社交界の本質は、「品定め」。
跡取り息子または娘の結婚相手にふさわしい人間を選ぶため貴族たちが用意した、値踏みの舞台。
事実にしろデマにしろ、ちょっとでもケチが付いたら、たちまち三流品、キズモノ、二束三文、お呼びじゃないね、ふん! なのです。


「彼は素敵よね。でも、あなた、彼がこの間の晩餐会で子爵を相手になんて言ったか、ご存じ?」
「うふふ、まあ、そのお話もう3回目ですわよ。なんでも彼ったら……」

こういう、ご婦人方のやり取りから始まるゴシップが方々で交わされ、尾ひれ背びれに胸びれ付けて、あちこち泳ぎ回るのです。


父親は悩んだ末、ほとぼりが冷めるまでこの奔放な息子を田舎に追いやることに決めました。人の噂も七十五日、どこかよその家の子が騒ぎでも起こしてくれれば話題はそちらへ移るはず。長らく放置していた保養地の屋敷に、長期休暇だとか気分転換だとか転地療養だとか、適当な理由を付けて放り込むことにしたのです。



しかし、そこで、またしても問題が発生します。
旅立つ息子の生活必需品として、お付きの召使いはなくてはならないもの。上流階級の世界では「どのくらい使用人を雇っているか」という一点が重要なステータスなのです。
それはすなわち『私の家は、日々のめんどくせー労働は下々のものにお任せしちゃえるくらいお金持ちで高貴で品行方正なのだぞ』ということをアピールするため。
厄介者の道楽息子とはいえ、お付きを連れていかせないわけにはいきません。


ですがこの時、三和家は大ピンチに陥っていました。

使用人不足。この時代、貴族の間で徐々に広まりつつある恐るべき事態。
主人側に支払うお金がないとか、時代の変化によって下層階級の人間が就ける職業が増えてきたとか、待遇に不満を抱いたとか、理由はさまざまですが、とにかく優雅でリスペクタブルな暮らしを保つために不可欠な使用人がどんどん減っていたのは明らかでした。
三和家も例にもれず、上昇志向の強いキッチンメイドが「ここのお屋敷で教わることはもうありません」と言って別の屋敷へ転職してしまったり、接客用の美人なパーラーメイドが寿退職して田舎に帰ってしまったり、だいたいそんな感じで一気に6人ほど抜けられてしまいました。
もともと余裕がなかったので、そろそろ募集をかけて増やそうかな、なんて思っていた矢先にこの有様です。増やすどころか減っています。
おまけに此度の騒動で「穏便に事を運ぶため」の出費を強いられ、人員募集計画もあえなく中止。

父親である当主はほとほと困り果て、息子を呼び付けて言いました。

「つまりな、タイシ、お前ひとりに使用人を大勢つけると、本当にうちが立ち行かなくなってしまうのだ。わかっておくれ。
お前にあてがってやれるのは、メイドをたった一人、それだけだ。それを誰にするか今……」
「ねーそのメイドって歳いくつ? 美人? 髪の色と目の色は? 身長どんくらい?」
「真面目に聴けェこのバカ息子!」拳で机を叩きながら怒鳴ったかと思えば、当主は急に怪訝な声でたずねました。
「……いやに聞き分けがいいな……何を企んでる?」
「ひどいな。まあ、オレだってちょっとは負い目感じてるんですよ、これでも。目上の人に生意気な口を利いちゃったのも、お家に余計なお金を出させちゃったのも事実だからね。
行くよ。まあ何とかなるでしょ。出発はいつなんだっけ?」
「……週末だ。話を戻すんだが、お前に付けるメイドというのが――」

硬質なノックの音が再び会話を遮ります。当主が「入りなさい」と声をかけると、現われたのは初老の男女。
執事のミスター・ピックフォードと家政婦のミセス・タナーです。
三和はそれまでだらけていた姿勢を思わず正してしまいました。この上級使用人コンビは自分が生まれる前から屋敷に勤める大ベテラン。
彼らはちょっと押しの弱いところがある父親や、三和のいたずらに手を焼くばかりだった乳母とは違い、「威厳があってこわいオトナ」という立ち位置として常に屋敷内で目を光らせていました。
例えば三和が幼い頃、階段の手すりに腰掛けて滑り降りようとした時だとか、肖像画にイカしたカイゼルひげでも書いてやろうとクレヨンを持って踊り場に忍び足で向かおうとした時だとか、ふと振り返ると彼らのどちらか(或いは両方)がそこにおり、こう尋ねるのです、

「タイシ坊ちゃま、いかがなさいましたか?」

そうなると三和はどうにも平静を保てなくなり、へどもどしながら「いやあ、べ、別に、なんでもないさ」と言って、逃げるように部屋へと引き返さざるを得なかったのです。
いい年になった今でもそれは変わらず。
この二人と同じ空間にいる時は、やましいことはしていないのにどうも居心地が悪いのでした。


「失礼いたします旦那様。ミセス・タナーと話し合った結果、ようやく坊ちゃまのお付きが決まりました」ミスター・ピックフォードが恭しく一礼します。
「ですので、坊ちゃまにお目通しを願いたく」

ミセス・タナーが受け継ぎ、ドアに向かって「こちらへ」と機械的な声をかけます。ややあって控えめにドアが開き、黒いドレスに白いエプロン姿のメイドが静かに入ってきました。

ほっそりとした体、白い花のような可憐な顔立ち、サファイアブルーの髪と瞳。少女小説の挿絵からそのまま抜け出てきたような姿に、三和はしばし見とれていました。
姉が好んで読んでいた(そしてそれを彼も隠れて読んでいた)安っぽいロマンス小説は、だいたいこういう女の子が主人公だったのです。天涯孤独で控えめな性格で(だいたいメイドかなんかをやっている)、でもすばらしい美形で、時には「実はもともとやんごとない名家の生まれ」という重大な秘密があったりして、いろいろあった挙句最後は金持ちのハンサムと結婚して大団円を迎えるのが相場でした。


「いやあ」三和はにやけそうになるのを我慢して、つとめて紳士的な表情を保ちながら言いました。
「こんなかわいいメイドがいるなんて、オレ知らなかったなあ。隠してたんでしょ。みんなひどいなあ」
「申し訳ございません」ミセス・タナーがにこりともせず、冷徹な声で形だけ詫びます。「坊ちゃまにわざわざ新入りメイドを紹介することもないかと思いまして。……いかがです、坊ちゃま。彼女を連れて行きますか?」
「そりゃ」

もちろん、と三和が頷きかけた、そのときでした。

「お待ちください……旦那様! どうかお待ちを!」


すがりつくような声と共にものすごい勢いでドアが開き、

家政婦の冷静な指摘通り、当主は顔面蒼白です。「いや……ミス・セ……いや、アイチは、確かまだ、入って日が浅いんじゃあ、なかった、だろうか。それに確か、そう、確か、ハウスメイドだったはずだ。掃除だけではなく、炊事や洗濯もこなせる雑役女中(メイド・オブ・オールワークス)の方が……」

執事と家政婦が渋いかをで視線を交わし合うのを三和は見逃しませんでした。
(明らかにこのふたり、なんか企んでやがるな。あーやしーい)

「」

ミセス・タナーの腰元で鍵束がじゃらりと鳴る度、青いメイドの肩が跳ねるのを見て三和はおやおや、と思いました。
貴重品の納められた棚の鍵を預かるのは女性使用人の最高権力者である家政婦の役目、すなわちその音は畏怖の象徴。若いメイドが怯えるのも無理からぬ話ではあります。三和自身ちょっとドキドキしています。
(とはいえこいつ、ちょっとばかり萎縮しすぎじゃないか?)

よほど気弱なのか、はたまたしょっちゅう家政婦からの叱責を受けているのか。
どちらにせよ使用人としてとても有能とは言えなさそうだな、と三和は思いました。


三和はミスター・ピックフォードとミセス・タナーの『話し合い』についてイメージしてみました。
使用人不足に喘ぐ中、放蕩息子のせいで更に人手を減らされる。当然、ふたりの心中は穏やかでないはずです。
ならば一番使えない人物を押し付けるのが最善の手と考えたのでしょう。



「旦那様、この際です、本当の事をおっしゃって下さい。私もミスター・ピックフォードも薄々気付いております。他の使用人も訝っております。
……ミス・アイチは、『先導家』の人間なのでしょう?」


貴族、
という生き物は、働くということをしません。
働かなくても食べていけるのです。先祖伝来の土地だの資産だの、そういう「初めからそこにあるもの」を受け継ぐことで、何もしなくてもお金が懐に転がり込んできます。額に汗して働くのは下々の人間の役目でした。
上の者は働かないで優雅な暮らしを。
下の者は働いて貧しい暮らしを。
行動と結果がまるであべこべな、そういう構造が当たり前だったのです。

しかし時代は変わります。
その「下々の人間」の中から、ガツガツ働いて富を蓄え、土地を買い、立派な暮らしを手に入れんとする人々が現われ始めたのです。
貴族は初めのうちこそ(今でも心の底では見下してますが)彼らを馬鹿にしていました。下賎な田舎者がいくら飾り立てて大きな屋敷に住んだとて、所詮は成り上がり、にわか金持ち。
したり顔で社交界に入り込んでくるなんて、まったくけしからん、嘆かわしいことだと。

とかなんとかぶちぶち陰口を叩いても「そういう人々」を排除することはできず(何てったってうなるほど持っているお金に物を言わせるのです。お金は強いのです)、その数はむしろ増えてゆきます。反面、由緒正しい貴族の暮らしには影が差しつつありました。
やがて『不作によって農奴が土地から逃げていったため屋敷を維持できなくなった』とか、
『世間知らずにつけ込まれてうまい話に乗らされたあげく財産まるごと持っていかれた』とか、
もろもろの理由であっという間に身持ちを崩してしまう家さえ出てきてしまいます。
世に言う、『没落貴族』と呼ばれる人々です。

その中のひとつに先導家がいました。
傾きがちな暮らしを立て直すために慣れない事業へ手を出したのが運の尽き。
計画は頓挫、逆に多額の負債を抱えてしまい、八方塞がりに追い込まれた当主は自ら命を絶ちました。
もともと体の弱かった母親はショックのせいか夫の後を追うように天へと召され、幼い次女は遠い親類の手によって寄宿学校へと放り込まれ、返済の義務は長女であったアイチにすべてのしかかることになりました。
姉妹を引き取った遠い親類(母の妹の夫の兄弟らしい、ほぼ他人と言ってもいい中年男性)はアイチに適当な紹介状を書いて渡すと「『一通り経験のあるハウスメイド』ということにしておいたから、これを持ってどこへなりと行ってくれ」とつっけんどんに言いました。
「はっきり言ってね、妹さんの面倒を見るので精いっぱいなんだよ。うちだって懐事情は厳しいんだ。
君はもう15歳だろう。自分のことは自分で何とかしなさい。お父上の借金もね。
成金の家はどこも人手が足りないらしいから、住み込みのメイドとしてならすぐ仕事が見つかるだろう。連中は使用人の質なぞわからず、とにかく数さえ揃えればいいのだと、そう思い込んでる。愚かだよ、実に。
……わかってると思うが、くれぐれも出自が明らかになるようなことは避けておくれよ。先導家の本家長女がメイドに身を落としているなどと知れたら、縁のあるうちまで何を言われるかわかったもんじゃない。

まあ幸い、君はまだ社交界にも出ていなかったそうじゃないか。顔が割れてないなら、何とでもなるだろう」


この日、先導家長女・先導アイチは死にました。
生まれ変わった名無しの少女・『ただの』アイチはやぼったい古着に身を包み、わずかな荷物とお金、うそっぱちの紹介状を持って、ひとり都会への汽車に乗り、暗い旅路に出たのです。


















いつか、
そう遠くない日、ほとぼりが冷めたら坊ちゃまは呼び戻されるだろう。
そうして彼は青年貴族として社交界へ、自分は名もなきメイドとして階段の裏手へ、戻っていくだろう。


でも今は、このたった一人の主人に、全てを捧げて生きよう。
その日が来るまで。
PR
【2012/08/01 22:03 】 | 短い話 | 有り難いご意見(0)
<<「もう一度村上春樹にご用心(内田樹、2010)」 から引用 | ホーム | しゅじゅう>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿















前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]