いろいろあって、ことにおよぶことになりました。
「でもオレ、男とは経験ないんだわ。井崎は」
「ないですよ…」
ですよねー。まいったなー。そう言って三和さんは実にのんきに笑う。ちっとも困ってない。
それでいて軽薄に見えないのは人徳のなせる業か、俺の欲目か。なんだ欲目って。
「勉強でもみてやろっか」の一言で、三和さんの家に上がらせてもらってもう四時間。
俺たちは簡素なシングルベッドに二人で腰かけたまま、とりとめなく会話を続けている。
寝るか寝ないか、それが問題だ。いや実のところ、それが議題なのだ。
(なんでこんなことに…あああ、逃げ出してえ)
夕食の献立(「なんか食いたいもんないですか!俺作りますよ!」といって俺が作った)や猫の話題(「そういえば店長代理って超ふさふさですよね!」)やカードファイト(くやしいが俺が負けた)や受験勉強(本来の目的はここだったはずなんだが)でどうにか、うまく「なかったこと」にしようとここまで延ばし延ばしにしてきたのだが、
結局は「でさあ、話は戻るけど、電気消した方がいいの?」なんてド直球に訊ねてくる。
勘弁してくれ。
だいたい、理由がわからない。
ツラは軟派系の男前、タッパは申し分ない程度にあり、気配りもできて弁も立つ。
はっきり言って同衾相手なんか不自由してないだろう。
ちょいと優しく声をかければ、かわいくて頭のやわらかい女子なんか、ひょいとついてっちまうだろう。
俺はつい、三和さんが笛を吹きながら女子高生やOLの列を先導する様を思い浮かべてしまい、
ばかばかしいが、この男ならやりかねないと失礼な感想を抱いていた。
ともあれ、この「女なんて日替わり定食だぜ」を地で行く男が、何の好奇心か知らないが、
俺に、井崎ユウタにアレを持ちかけてきたのだ。
アレを。
しかも割と本気で。
なんで?
(そんなことはどうでもいい!何とか、何とかしなければ、なんとか)
時計はもうすぐ九時を指す。よいこはおうちにかえっていなければいけないじかんです。
塾にでも通っていれば話は別だけど、俺は通っていないので意味がない。
「三和、さん。そろそろ、親御さんとか帰ってくるんじゃないスか。俺、帰った方が」
「あ、だいじょーぶ!オレね、一人暮らしだから」
「イヤァー、アノ、オレントコ、モンゲンキビシクッテェー」
「さっき電話してたじゃん、先輩の家で勉強見てもらうって。泊りになるかもってゆったんならへーきだろ」
必死の抜け道もやんわり塞がれて、いよいよ事態は袋小路。
息が苦しくなって、脈がだんだん速くなっていく。スポーツテストのシャトルランの時を思い出す。
最後まであきらめないのがヴァンガードファイトです。
神様頼む、俺にヒールトリガーを下さい。ついでにたちかぜのトリガーユニットもお願いします。
肩に手がかかった瞬間、血の気が引いた。
死刑宣告。職員室。リストラクション。放課後の体育館裏。不吉なイメージが渦を巻く。
「いやあ、オレをここまでじらすとは、お前もなかなかどうしてやるじゃないか。
で、覚悟は決まった?」
「……か、」
「か?」
俺はベッドから立ち上がり、三和さんの正面で膝をつく。
頭がひどく痛かった。だが、もはやこれしか方法が思いつかない。
「勘弁してください!俺には好きな人がいますので、あなたと寝ることはできません!」
人生、初土下座である。
ああー、もう、うんざりだ。やってみてわかったのだが、腰を折って頭を下げるのとは比較できないくらいの屈辱で全身がずたずたになる。願わくば二度としたくない。
「後生ですから…やめましょう、こんなことは…」
一体俺の頭上で、三和さんはどんな顔をしているだろう。
頼むわかったといってくれ。冗談だよと、いつものように、へらへら笑ってくれ!
永遠に思える(実際はいくらも経っていない)沈黙の後、三和さんが小さく息を吐いた。
「…ははは。まいったね、どうも。これほどとはね。
とりあえず、顔を挙げてくれや。話ができねえよ」
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